元佐倉藩士の津田仙(つだせん、1837~1908)が明治時代に国内で広めた西洋野菜をふんだんに使った給食の特別メニューが、佐倉市内の全ての小中学校34校で登場した。児童や生徒らは彩りある栄養満点の給食を味わいながら、郷土の偉人への理解を深めた。
加賀藩士だった佐野鼎は、当時32歳。砲術や航海術、天文学の専門家で、語学も優れていたため、遣米使節に続き遣欧使節としても抜擢されたと考えられます。幕臣ではなかったため、肩書は「賄い方・小遣い」という立場でしたが、このときパリの有名な写真館で撮影された ...
戦争終結後、新政府軍は 明治天皇の詔書 に基づいて東北の各藩を処罰したわけですが、この詔書の中でも「容保の死一等を宥して首謀の者を誅し…」と記されていました。
松本市立博物館(大手3)で初の収蔵品展「戸田家臣団─松本藩最後の武士団」が開催中だ。江戸時代、松本藩で最も長く藩主を務めた戸田家やその家臣にまつわる古文書や武具、資料など121点を展示している。6月17日まで。
薩摩藩が奄美・琉球侵攻(1609年)のため、奄美大島に差し向けた兵と島民の戦闘があったと伝わる奄美市笠利町手花部の津代(つしろ)古戦場跡で21日、戦没者を追悼する「水花香1609慰霊祭」があった。有志で組織する「三七(み […] ...
1865(慶応元)年に現在の鹿児島県いちき串木野市から英国に留学した薩摩藩士の一人で、米国に転じた後「カリフォルニアのワイン王」と呼ばれた長沢鼎(かなえ)(1852~1934年)。その長沢が、米国で使っていたカトラリー(ナイフとフォーク)が、同市立の ...
白老町陣屋町の白老仙台藩陣屋跡内にある約400本のエゾヤマザクラとヤエザクラが見頃を迎えている。町道陣屋通沿いのサクラも同様で、ゴールデンウイーク期間中に満開となりそうだ。  サクラは広い陣屋跡の敷地を淡いピンクに染め上げている。仙… ...
藩の石高は6万1千石から8300石に激減し、失業状態の藩士らは貧困に苦しんだとされる。 慰霊祭を開いたのは藩士の子孫らでつくる「美作浜田会 ...
今年1月の能登半島地震で大きな被害を受けた石川県珠洲市。同市出身の関東在住者らでつくる東京珠洲会の笠原英二会長(85)ら10人が27日、鴻巣市の「法要寺」を訪れ、鐘楼堂のまわりに2022年に植栽されて今年も深紅の花を咲かせた珠洲市産のキリシマツツジを ...
江戸時代末期に米沢藩の最後の藩主を務めた上杉茂憲に関係する資料の展示会が、米沢市の博物館で20日から始まるのを前に、関係者の内覧会が開かれました。 上杉茂憲は、米沢藩の最後の藩主で、明治時代には沖縄県で現在の県知事にあたる県令を務めました。 米沢市の上杉博物館では、上杉茂憲に関係する資料を集めた展示会が20日から始まるのを前に19日、スタッフや観光関係者などが参加して内覧会が開かれました。 会場に ...
いちき串木野市羽島から旅立った薩摩藩英国留学生の功績をたたえる「黎明祭」は21日、同市の羽島漁業協同組合であった。羽島小、中学校の児童生徒が留学生になりきり、英語や鹿児島弁で偉業を紹介した。 ...
薩摩藩が奄美・琉球侵攻(1609年)のため、奄美大島に差し向けた兵と島民の戦闘があったと伝わる鹿児島県奄美市笠利町手花部の津代(つしろ ...